私たちが聖書に触れるとき、そこにはその文字が記された時代と地域、さらにその背景にある文化的な習慣などを踏まえた上で受け取る必要があります。残念ながら、同じ聖書であっても、まったく逆の言葉を用いて神の言葉とされている箇所を見ることができます。だからこそ、私たちは用いられた言葉を吟味し、現代社会に生きる私たちに語られた言葉として受け止めることが求められています。
本日の聖書箇所はニューヨークの国連本部広場にある「イザヤの壁」に記された言葉です。第二次世界大戦の反省を踏まえて、世界中の国際平和や安全維持、人権の尊重を考慮して作られたものであると言います。その言葉を具体的に現わしたモニュメントはソ連(ロシア)から寄贈されたものと言います。 預言者イザヤは紀元前8世紀後半ユダ王国が強大なアッシリアに侵略される状況の中で、神の裁きと戒めによって武器を農具に変えて戦うことを学ばない「終わりの日に」を示しました。
残念ながら、人間の歴史を振り返るとき、当時の状況に合わせて引かれた境界線は、現代の状況では不都合になってくることはよくあります。しかし、暴力で変更することを優先するのではなく、対話によって解決の道を捜していきたいものです。主イエスは自分を捕らえようとしてきた人々に向かって剣を上げた弟子に「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と示されました。
預言者イザヤは、主が国々の争いを裁き、多くの民を戒められると語ります。自分たちの都合、自分たちの事情の主張ばかりでは先の見えない時代、もう一度創り主なる神に立ち帰って共に「主の光の中を歩もう」と互いに呼びかけあえる日を望みます。