ヨエル書3章は、いままでのイスラエルの民への強烈ないなごの害を回復した後の話が記されています。そこには、主なる神がすべての人に霊を注ぐ有様を語ります。まず、あなたたちの息子、娘、次に老人と若者、最後に奴隷となっている男女に対して霊を注ぐことが示されています。
霊とはルーアッハと言い、人間の支配や秩序をはるかに超えたもとして描かれています。
この言葉は、他の場面では息、あるいは風とも訳されていて、人間が生活している中に神によって介入してくるものとしています。その霊がすべての人へ注がれるという世界こそが、来るべき「神の国」として思い描いていたのでしょう。
旧約聖書が記された時代に、息子と娘を同等に記すことは極めて少ない表現であり、またこの場所では奴隷においても男女を同等に扱っています。ここに神が人間を神の形として創造された深い意味と、命の息を吹き込まれた強い意志を受け取る必要があるのでしょう。
今こそ、心からわたしに立ち帰れ(ヨエル2:12)とくり返し呼びかけておられた神は、隔ての壁を超えて、主の御名をよび求める者は皆、救われる(3:5)と宣言されます。この神の慈しみのご計画こそが、主イエス・キリストの出来事へと繋がれていくのです。
使徒言行録には、使徒ペテロの説教の中で、このヨエル書が引用されています。いままで小さくされていた主イエスの弟子たちが聖霊によって解放され、そこにいる多くの国々の人々の言葉を持って語りだした場面です。神の御子イエス・キリストがこの世に遣わされたことによって、イスラエルの民の成人男性だけではなく、ジェンダーを越え、年齢を越えて、階級や民族をこえていることに注目すべきなのです。