クリスマス

ルカによる福音書 2章1-20節 『飼い葉桶のしるし』 牧師 武林真智子

聖書の中には、人間が権力や地位を持つと、自分は特別の存在と考え何でもできると思ってしまうことが様々な場面で記されています。皇帝アウグストゥスは、当時「救い主」と呼ばれ、その権力は絶大なものでした。全領土の住民に登録をせよという勅令は、そこに住む人々の事情など考えもせずに、税金搾取と兵役人数調査のために行われたものでした。

ナザレの片隅に住むヨセフとマリアは、ユダヤのベツレヘムへと旅立っていきます。マリアは、行く必要はなかったのですが、父親のわからない子を宿したことで、安全のために一緒に旅だっていきます。当時の旅は、様々なリスクが考えられ、身重の体を抱えての旅は緊張を強いられたことでしょう。

その町で、マリアは初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせます。客間(宿屋)には彼らの泊まる所がなかったからと聖書は記します。親類縁者からの冷たい扱いの中で、受け入れてもらえる場所は、動物のにおいのする所でした。そこで少しは衛生的に見える所が飼い葉桶だったのでしょう。

エリサベツを訪問した際のマリアの賛歌とは対照的に、ここではマリアは一言も語りません。同じようにマリアの妊娠を受け入れたヨセフも語ろうとはしません。だからこそ、貧しさの中で、肩を寄せ合って、一つの命の誕生に精一杯の夫婦の姿が浮かび上がっています。

人間は、哺乳動物の中で、一番未熟な状況で生まれてくる動物といいます。生まれたままでは立つともできず、受け止める人の手がなければ生き続けるともできません。神の御子イエス・キリストが、こんな未熟で無防備な状況で、この世に遣わされたことを思います。そして、そこに確かに人に対する神の信頼と、人と人との信頼関係があったことを見るのです。

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