人間としてこの世に遣わされた主イエスは、ヨセフとマリアに連れられて、モーセの律法に従い、神殿のあるエルサレムへむかいます。出産から40日後、マリアの清めの儀式と、初子としてイエスを献げる目的のために、いけにえをもって神殿に入ります。聖霊によって身ごもったと告げられ、ダビデの王座と言われたとしても、思いめぐらすばかりの時期を過ごしていったことでしょう。
神殿の境内には、二人の老人が救い主メシアを待ち受けていました。一人はシメオンといい、主が遣わすメシアを見るまでは死なないと告げられていました。またもう一人はアンナという女預言者でした。大勢の人々が神殿に詣でて、いけにえを献げていたにも関わらず、彼らは貧しい二人を見つけて喜びの歌を歌うのでした。
「主よ。今こそあなたはお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」この歌(2:29-31)には、神の約束が確かに実現して一人の人間の姿として現れていることへの喜びが溢れています。彼らは日々イスラエルの慰めと、エルサレムの救いを祈り続けていた人々でした。
神殿の境内で出会ったヨセフ、マリア、そしてシメオン、アンナは、まさに主イエスを中心とした神の家族です。私たちは、ここに教会の基本的な姿を見つけることができます。今年の主イエスのご降誕を祝う礼拝においても私たちは、様々な方々と一緒に礼拝することができました。お一人ひとりの背景は違っていても、神を礼拝し、神を賛美するために集まってきた神の家族なのです。
今年も最後の礼拝となりました。私たちの教会がまさに神を礼拝し、神を賛美することを中心におき、神の家族として互いに祈りあっていきたいものです。