使徒パウロが、伝道旅行の中で、諸教会に手紙を送っていた頃には、多くのキリスト者が異端として迫害を受けていました。その中で、再び主イエスが来てくださるという再臨こそが希望だったのです。だからこそ、初代教会が抱えている現状は、必ず終わりがくるという意識が支えだったのです。
ローマの信徒への手紙は、パウロの最後の手紙であろうとされています。一度も訪れたことのない教会に思いを寄せて、大切な言葉を紡いでいきます。あらがうことのできない支配権力に対しての考え方、また互いに愛することの重要性を示しつつ、今がどんな時であるかをわきまえるように記していきます。
「時」を意識するとき、そこには2つのときが見えてきます。一つは「流れ去る」ときとして、カレンダーや時計の表示を見ながら、間に合わないとか、まだ大丈夫という「とき」が、私たちの日常生活を支えています。もう一つは「機会」とも表現されるときとして、自分ではない力によって起こされるものと、とらえていくことができます。キリスト者は、「とき」は神のものであることの平安の中に生きることができます。すなわち私たちは、主イエス・キリストが肉体をもってこの世に遣わされたときから、救いが完成するときまでの途上を生きているのです。だからこそ、与えられたときを大切に、喜びに生きることができるのです。
私たちが礼拝を捧げることは、すべてのときは神のものであることを告白する行為です。初代教会は週の初めの日を主イエスの復活の日として喜び、集まって集会を行っていたのでした。再び来てくださる主イエスを待ち望む者の一人として「マラナ・タ」(主よ、来てください)と、歌いつつ新しい一週間を歩みだしましょう。