礼拝

『平和があるように』 ルカによる福音書 24章36〜43節  牧師 武林真智子

二人の弟子は、夜通し歩いてエルサレムに戻って「復活の主イエスだと分かったら、その姿は見えなくなった。」と、語ります。するとシモンにも主イエスが現れたと言うのでした。このように話していると主イエスは彼らの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言われるのでした。

彼らは、主の晩餐の食卓で、裏切りの犯人捜しをし、さらに誰が一番偉いのかを議論するような弟子たちでした。主イエスは、散りぢりになってしまった共同体にむかって「平和があるように」と、声をかけられたのでした。シャローム(平和)とお互いに挨拶することは日常のことです。しかし、その声を聴き、姿を見た弟子たちは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思うのでした。

主イエスが肉体を持って復活されたことを信じることの難しさを思います。主イエスは、ご自身が肉体を持って復活されたことを理解するように続けます。傷ついた手と足を示し、触ってよく見るように促します。「亡霊には肉も骨もないが、わたしにはそれがある」と言われるのでした。さらに弟子たちが不思議がっていると、彼らの前で、焼いた魚まで食べて見せられたのでした。なんとしても弟子たちに肉体を持って復活したことを理解させようとする熱意を感じられる場面です。

この場面で一番喜んでいるのは、主イエスなのです。復活の命を得て、ふたたび愛する弟子たちと向かい合うことのできる喜びを何とかして共有しようとされるのです。ご自身で弟子たちに苦しみを受けて殺され、時が満ちたら復活することを予告されていました。しかし、神の出来事として復活が現実のこととして起きたとき、なにより伝えたかったことは「平和があるように」だったのです。

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