多くの証人に囲まれて
ヘブライ人への手紙 12章1-3節
教会が既に眠りについている方々を想い起こすとは、その人々のこの世での信仰者としての歩みを振り返るということです。すなわち創造主なる神が一人の人に命を与え、命を終わらせてくださったことを想い起こす礼拝なのです。
本日の聖書箇所の前11章の部分で「信仰によって」という言葉が繰り返されます。 そこには、創世記からの一人ひとりの命の営みが、見えるものは、目に見えているものからできたのではないことを証明していると語ります。そして私たちが、そのおびただしい証人の群れに囲まれていることを喜んで記しているのです。もともとは、このおびただしいとは、雲のようにという言葉を用いており、そこには約束のものを手に入れなかった人々や完全な状態に至らなかった人々の影を感じつつ記しているのです。
その「信仰によって」の集大成こそが、神の御子イエス・キリストのこの世での生涯を現しています。信仰の創始者、完成者という表現を用いて、いかに主イエスが忍耐をもって生き抜いてこられたかを振り返っているのです。現代社会においても、この世でキリスト者として生きることは簡単なことではありません。様々なしがらみや、習慣や慣習を捨てて生きることが求められます。だからこそ、主イエスが生きられた生涯に目を留め、注目して生きることが重要なのです。
私たちが短い命の営みを過ごすだけでも、神が自分を愛してくださっていることを認識しないと難しい局面はいくらでも起きてきます。誘惑は絶えず近くにあり、他者と比べる罪を拭い去って捨てきれることも容易なことではありません。しかし、主イエスがどのように生きられたのかを学ぶときにこそ、気力を失わず、疲れ果てない生き方ができるのでしょう。