礼拝

使徒言行録 1章12-14節 『心を合わせて』 牧師 武林真智子

心を合わせて

使徒言行録 1章12-14節

 主イエスは、弟子たちに「あなたがたは地の果てまで、私の証人になる」と宣言されると、彼らが見ている間に天に上げられていきました。彼らはまた、自分たちのリーダーを失い、失望してしまったことでしょう。しかし、彼らは主イエスの言葉を信じて、上からの聖霊が降る日を待ち望むことになりました。

オリーブ畑よりエルサレムに戻ってきた人々の拠点は、主イエスが最後の晩餐を行ってくださった場所でした。初代教会は、再び来てくださるという約束を信じて、繰り返し主の晩餐式を執り行ってきました。そこで語られた言葉は、弟子たちの証と共に、現代社会に生きる私たちにも届けられていて、本日も、共に主の晩餐式に預かることができるのです。

この箇所で、集まった使徒の名前を記したのは、主が召し出してくださった使徒の一人が欠けていることの悲しみを現わしています。さらに女たち、イエスの母マリアの姿がそこにあったことを記します。この著者ルカは、主イエスと共にガリラヤから福音を宣教していく働きの中に女たちがいたことを丁寧に記しています(ルカ8:1-3)。彼女たちは、それぞれの抱えている病や悪霊によって、また様々な理由で家庭からの追放を受け、共に旅をしていたことが推測されます。

そのような人々が一つ所に集まって心を合わせて、ひたすら祈りをしていたと記します。この「心を合わせて」という言葉は、使徒言行録の中で、度々用いられています。もともとは「心を一つにして」という意味合いを持ちます。なぜなら、民族もジェンダーも違う人々が共に集まって教会を形成していくには、どうしても心を合わせる必要性がありました。現代においても「心を合わせて祈る」ときにこそ、共に礼拝を第一にし、共にパンを裂き、交わりを喜び、主を賛美する教会となるのです(使徒2:46)。

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