心を合わせて祈っている一人ひとりに炎のような舌が与えられ、弟子たちは霊が語らせるままに他の国の言葉で語りだしました。その様子を見て、新しい酒に酔っていると嘲る人々を前に、ペトロが説教を始めます。聴いていた人々の中には、ユダヤの人々が大勢いたようです。彼らは、神が預言どおりに救い主メシアを与えてくださることを、信じて待ち望んでいた人々でした。
ペトロは聴いている人々が暗唱しているヨエルの預言書を用いて、神が霊を注いでくださったとき、語るべき言葉が一人ひとりに与えられることを語ります。そして、ナザレ人イエスこそが神から遣わされた人であることを力説します。また彼らが律法を知らない人々の手を借りて、主イエスを十字架につけて殺してしまったことを告げるのでした。
イスラエルの人々にとって、ダビデは特別の人でした。彼らが思い描くのは、言い伝えられたダビデ王がもたらしたイスラエルの平和でした。そして預言どおりに彼の子孫に救い主メシアが誕生することで、真の平和がもたらされることを期待していたわけです。
ペトロは詩編16編を引用して、そこに秘められた神の存在こそがダビデの活躍を支え、喜びの基になっていたことを示します。当時の人々にとって詩編は歌によって神を知り、歌によってイスラエルの歴史を学ぶものでした。さらにペトロは、ダビデもまた人間として終わりを迎え墓に葬られる存在であるが、神の御子としてこの世に遣わされた主イエスは、神のご計画によって復活の命が与えられことを語るのでした。
教会がこの場所に神のご計画によって植えられて30年を迎えようとしています。他者のために生きる教会の使命を大切にして「命に至る道」を示しつつ歩んでいきたいと願うのです。