礼拝

民数記 9章15-23節 『荒れ野の旅』 牧師 武林真智子  

今月は、教会学校再開に合わせて、「民数記」を宣教することとしました。ヘブライ語聖書の題名は「荒れ野にて」です。この書は、奴隷として差別や苦役に苦しめられていたイスラエルの民の40年の旅を描いています。神は彼らを近道には導かず、葦の海に通じる荒れ野の道へと向かわせたのでした。

主なる神は、この大勢の民の移動の中心に臨在の幕屋を置き、それぞれの家系の印を描いた旗を掲げて宿営するように命じられました。また、出エジプトの働きのために神に選ばれたモーセ、アロンの家系をレビ人として、この幕屋の移動に関する様々な働きを担わせました。かたくななエジプトの王ファラオとの交渉の中でおこされた10回に及ぶ災いの最後が初子の死でした(出11:29-35)。神は、「わたしはイスラエルの人々の中からレビ人を取り、初子の身代わりとする」と語られたのでした。

本日の聖書箇所には「主の命令」によってという言葉が繰り返されます。彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通してなされた主の命令に従い、主の言いつけを守った(民数記9:23)この主の命令が具体的に見えるのは、幕屋を覆う「雲」であり、それは夜になると燃える火のように見えたと言います。その雲が幕屋の上にとどまり続けている間は、彼らはそこにとどまり続けたのでした。一方で、一晩だけで朝になると雲が昇ると、彼らは旅立ったのでした。

聖書が語る「雲」には、神の臨在が示されています。洪水から逃れることができたノアの家族に示された虹も雲の中に示され、高い山に主イエスと共に登った弟子たちは、雲の中で神の言葉をきくのでした。民数記に描かれたこの旅の様子を思い描くには、私たちの「想像力」が試されます。

TOP