聖書に登場する最初の預言者としてモーセが登場します。預言者とは、神の言葉を預かって民に伝える使命を与えられた者です。彼はその生い立ちから、階級の差を超え、民族と民族の間に置かれました。ヘブライ人(奴隷)の母に乳をもらい、エジプトのファラオ(王)の娘の子として、自身の出自や信仰の基礎を踏まえながら、高い教育と贅沢な生活の中で育てられていったのでした。
さらに同胞への暴力に対して暴力を振るうことで、エジプトを追われ異邦人(ミディアン人)に身を寄せたのでした。ですから、神により出エジプトのリーダーとしての召命を受けた際も「私は何者なのでしょう」と応答するのがやっとだったのでした。
出エジプトの民の中には、種々雑多な人々が加わっていたことが記されています(出12:38)。彼らもまたヘブライ人と同様にエジプトで奴隷として苦役に耐えていた人々であろうと言われています。そこには、リーダーであったモーセによる招きがあり、共に荒れ野を旅する中で、彼らもまた飢えと渇きを訴えたのでしょう。
私たちも同様な状況に追い込まれたら、すぐに文句を言い出すに違いないと思います。実際に食べるものがなく住む場所を追われた経験のない者でも、想像するだけで先の見えない旅を続けるには、リーダーはどうしても必要に思えます。
モーセは苦闘して祈ります。民の各部族が天幕の入り口で泣く声を聞き、燃え上がる主の怒りを感じながら祈ります。与えられた使命の重さ、苦しみが「私一人ではこの民すべてを負うことはできません。私には重すぎます」という誠実な祈りへと導かれていったのでしょう。現代社会に置かれた教会こそが、預言者であると言われます。先の見えない荒れ野の旅のような混沌とした時代に、主の助けを求める祈りこそが求められます。