今日は、80年前に、壮絶な地上戦が行われた沖縄を覚え、共に平和を求める特別礼拝を行っています。「命(ぬち)どぅ宝(たから)」という言葉は、沖縄の言葉で「命こそ宝」という意味を持ち、有名な琉歌の一節であると伝えられています。伊江島で基地反対運動を進め、沖縄のガンジーとも呼ばれている阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)氏は、「命どぅ宝」こそ、自らの生涯かけて伝えたい言葉と語っています。戦争中、皇民化教育によって、国のために死ぬことが名誉なことと捕え、南へ南へと逃避行した人々が、最後の崖から身を投げて死んでいった状況がありました。
戦後、本土にあった多くの基地は、次々と沖縄へ移設されていきました。その結果、日本全国の米軍基地の74%を、国土の0.6%の沖縄に押しつけ、様々な問題が勃発しています。一日も休むことのない戦闘機の爆音の下にある保育園や小学校では落下物の恐怖の中にあり、女性に対する性犯罪、死傷事件は後を絶ちません。さらに住宅地開発によって毎日のように不発弾が発見されています。そのような中でなお、南西諸島の一つとしてミサイル基地の増設、辺野古基地の設置、すでに戦闘体制が整備され、戦争前夜であるといわれています。
聖書は、命のはじまりを胎児になる前からとします。小さな内臓、骨、その全てにおいて主なる神の知らないことはないと歌います。これほどに熱心に、丁寧に造られた私たちなのに、互いに殺し合う歴史を繰り返し、今また始めようとしています。戦いや暴力で失われてよい命などありません。命の息を吹き入れられ、主イエスの十字架と復活の出来事を通して救われた私たちは、生涯をかけて戦争の道具である基地に反対して生きたいと思うのです。