礼拝

ヨシュア記1章1-9節 『主が共にいる』 牧師 武林真智子

 ヨシュアとはどんな人であったのでしょう。残念ながら聖書はその出自について詳しく記しません。出エジプトの民は、預言者モーセの言葉に従って荒れ野の40年を超えて、いよいよ約束の地カナンへと向かいます。主なる神は、この新しいステージにヌンの子ヨシュアに彼らの指導者としての使命を与えます。モーセとは対照的に若く経験のないヨシュアにとって、最も必要な言葉は、神からの励ましであったことでしょう。
 時代の流れによって聖書の読み方も変わってきました。強く(ハーザク)雄々しくあれ(アーマツ)という慣れ親しんだ言葉も、一度立ち止まってそこで主なる神が最もヨシュアに伝えたかったことは何であったかを考える必要を感じます。南ユダが崩壊して、遠くバビロンの地で抑圧的な立場の中でまとめられたヨシュア記であったこと、また著者も読者も読み書きのできる一握りの男性であったことなどを考慮することが求められます。しかし、歴史的な背景をふまえた上でなお、現代社会に生きる私たちに神の励ましが届きます。
 わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる、あなたを見放すことも、見捨てることもない(1:5)私たちがどんな状況に置かれても、この約束は変わりありません。その約束を具体的に信じることができるように、創造主なる神は、御子イエス・キリストをこの世に遣わしてくださったのです。聖書のいたる所に「私はあなたと共にいる」という神の励ましを見つけることができます。ご自身の命の息を吹き込んで生きるものとされた人(アダム)に対しての変わりない大きな神の愛を受け止めていきたいものです。

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