先々週、武林先生は「その日が来る」と題して宣教をして下さいました。「その日」とは、主の言葉を探し求めても見つけることができない「主が臨まれる裁きの日」であると教えて頂きました。
本日の箇所にも「その日が来れば」と記されていますが、今日、私が信徒説教の題として付けさせて頂いたのは「希望の日」です。
アモス書はずっとアモスの厳しい預言の言葉を伝え続けていますが、
先ほど読んで頂いた9章の11節から15節までには、人々が神さまに立ち帰るならば救いが与えられる 「希望の日」があることが書かれてあります。
9章11節 「その日には わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し、その破れを修復し、廃墟を復興して昔の日のように立て直す。」と。
また、14節には 「わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。彼らは荒らされた町を建て直して住み、ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み、園を造って、実りを食べる。」とあります。この言葉を聞いたイスラエルの民はどんな気持ちだったでしょう。いつか来るであろう「希望の日」を待ち望む気持ちになったかもしれません。
13節には 「耕す者、刈り入れる者、ぶどうを踏む者、種まく者、と ぶどうの実を、またぶどう酒を作るために、すべての人がそれぞれの任された仕事を行うことによって町が建て直されていくことが書かれてあります。聖書教育の学びの所にもありますが、マタイによる福音書20章1節から記されている誰一人取り残されない「ぶどう園の労働者」のたとえ を思い起こします。