礼拝

マタイによる福音書 4章14-17節 『闇の中に光』  牧師 武林真智子

神の御子イエス・キリストは、ナザレ人イエスと呼ばれていました。その幼少期をナザレで過ごした後に、湖畔の町カファルナウムで宣教活動を始められたことが記されています。それは預言者イザヤが、すでに語った場所であったことを著者マタイは記します。「異邦人のガリラヤ」と言われるように、歴史的に見ても、多くの民族が入り混じった背景の中での宣教活動であったわけです。闇の中に住む民は大いなる光を見た。(4:16と表現された中には、闇の中で光に出逢った喜びが示されています。

聖書の語る神は、主イエスをこの世に遣わすのに、繁栄しているエルサレムではなく、貧しく厳しいベツレヘムを選ばれました。王宮ではなく、飼葉桶の中に、その命の誕生が与えられました。その出生も、当時の人々が祝福するような状況ではありませんでした。

日本バプテスト連盟が宣教師を派遣するために、その相手の国をどのように選んできたかにも、この神に従った選び方があったといえるでしょう。すなわち、持っているものが持っていない者へ伝えていくという従来の選び方をしないとしたのです。「戦争責任に関する信仰宣言(1988年)」を踏まえて、アジア諸国、また和解の福音の働きを中心に宣教師、国際ミッションボランティアを派遣し、共に歩んでいくこととしたのでした。

アドベントの第一週に、私たちの求められることは「悔い改め」なのでしょう。この世に生きている限り、絶えず悪の誘惑にさらされています。自分のことだけで、他者の困窮や貧困から目を逸らして生きていくことは容易いことです。しかし、主イエスに出逢い、自らの十字架を負って従っていくことに招かれているなら、誰かの隣人として生きることを選択していきたいものです。

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