礼拝

マタイによる福音書 6章9-10節 『御名、御国、御心』 牧師 武林真智子

主の祈りの中で、日々の生活の必要を祈る前に「御名」「御国」「御心」を求める祈りが与えられています。この祈りは個別の祈りではなく「聖とさせたまえ、あなたの名を」「来たらせたまえ、あなたの国を」「行われますように、あなたの意志を」そして「天におけるように。地の上にも」がこの三つ祈りすべてにかかっていることがわかります。この最後のフレーズこそが、主イエスが弟子たちに伝えたかった祈りであり、弟子たちが伝え続けた祈りであるのです。

イスラエルの人々は神を様々な名前で呼んでいました。しかし、十戒の「みだりに主の名を唱えることの禁止」により、主(アドナイ)という言葉に変更されていきます。「名」はその本質を現わすと言われます。モーセが柴の中で、神の名を尋ねた時に、ご自身が「私はある」という者であるという応答も大切にしていきたいものです。

「御国」は「神の国」と同様の意味を持ち、創造主なる神が支配し、この世の常識やルールではなく、神の愛がいきわたる国を指します。「子どもように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることができない」と言われたように、神に自分の存在をゆだねてこそ入ることのできる不思議な国であることを受け入れることが求められます。

「これらの小さな者が一人も滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」と言われたように、創造主なる神は、すべての命ある存在が救われることを望み、主イエスをこの世に遣わしてくださいました。神の御子が人間となられたことで、「天におけるように、地の上にも」として、私たちは「御名」「御国」「御心」を自らの言葉で祈ることができるようになったのです。

TOP