2月11日は、「信教の自由を守る日」です。建国記念日として記され、国民の祝日とされてから、もう60年近くも経つので、その意味や、当時の反対した人々の熱い思いは、薄まって、消えかかっているのかもしれません。諸教会・伝道所が、「信教の自由」を、大げさに取り上げていると、「教会は、政治的なことに関わる必要はない」という思いがあることを知っています。しかし、教会もこの世で社会的な存在として、絶えず関心をもって目を注ぎ、キリストの福音を告白していくことが求められているのです。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする(8:32)という有名な一節の前に、私の言葉にとどまるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。という意味を深く考えてみる必要を感じます。この世での「自由」のとらえ方は、誰にも服従しない、自分の考え方に従って生きることを指しているように思えます。しかし、聖書の語る「真理」は、まさにイエス・キリストのことであり、主イエスの言葉に服従する弟子しての「自由」を示しています。残念ながら、自分の考え方ほど曖昧で、取り巻く状況によって揺さぶられていくものなのです。
戦前・戦中の教会は、巧妙に仕組まれた宗教弾圧を容認して、生き残る道を選んでいきました。天皇を神として周りとの良い関係性を構築しようとしました。聖書の語る神は、人間の命をこよなく愛し、ひとりも滅びることのないように願っておられます。そこには、国王も、天皇も、大統領も、首相も、一つの命であって、比べる命の重さはなく、ただ確実に死んでいく存在でしかないわけです。その愛に立ち返って、為政者の権力によってゆがめられない生き方を確かなものとして次世代へ語り続けていきたいものです。