最後の晩餐と言われる食事の場面がヨハネによる福音書には描かれません。しかし、食事の際に主イエスが語られた言葉と、その背景が記されています。これが、遺言説教と言われ、13章から16章に記されています。その最初の部分には、主イエスが自ら、そこにいた弟子たちの足を洗われたことが描かれています。 土埃が舞うようなこの地域で、人々の履物はサンダルでした。ですから、家に招きいれたときには、奴隷が客人の足を洗うという行為が一般に行われたいたようです。その行為を「先生」「主」と呼んでいた主イエスが行われたので、弟子たちは衝撃を受け、その真意を計りかねていたのでした。 聖書には実に具体的にその行為が記されています。席から立ちあがって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻かれた。それから、たらいに水を汲んで弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手拭いで拭き始められた(13:4‐5)どんな対応をすればわからないままに弟子のペテロは、主イエスとの対話をかわします。そこで、「私のしていることは、今あなたにはわからないが、後でわかるようになる」また、「もし私があなたを洗わないなら、あなたは私と何の関わりもなくなる。」と、宝石のような言葉が手渡されていったのです。 主イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟っての行動であったこと、また世にいるご自分の者たちを愛し抜いての行動であったことが背景として示されています。主イエスは上に立つ権威としてではなく、「仕える者」としての姿の模範を示されたのでした。互いに愛し合うことこそが、他者の尊厳と人権を認めあう関係性へと繋がっていきます。教会も、この世に仕えていく者として歩んでいたいものです。
礼拝