礼拝

『キリストの体なる教会』 エフェソの信徒への手紙1章15-23節 牧師 武林真智子

エフェソという町は、使徒言行録(19章)に記されたように巨大なアルテミス神殿があり、使徒パウロ一行に対して暴動事件が起こされた場所です。その背景には、使徒パウロの「人の手で造ったものなど神ではない」と言う発言でした。神殿の模型でかなりの利益をあげている人々にとって、それは自分たちの経済的なダメージを危惧するものだったのでした。

この手紙は、エフェソに建てられた教会が、様々な対立の中で、また内部にも問題を抱えていることを案じながら、どんなことに注意を払い、互いに愛し合い、仕えあって生きる道を示そうとしたものです。まず神が愛を持ってキリストにあって私たちを選んでくださったこと、さらに神の豊かな恵みによって御子において、その血によって贖われ、罪が赦されたことを記していきます。

使徒パウロは、手紙の中で、「心の目を開いてくださるように」と語ります。それは闇から光へ、サタンの支配から神に立ち帰ることができる目であり、神の招きによって希望を持ち続けることのできるための秘訣とも言えます。神の力がいかに大きく、それがキリストを復活させ、あらゆるものの上に置かれたことの喜びを語るのでした。

教会(エクレシア)とは、神によって召しだされた集合体という意味を持ちます。この世に教会が与えられた意味として、教会こそキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たし続けてくださる方が満ちている場(1:23)と言います。私たち飯能バプテスト教会は、今年で教会組織29年目を迎えます。礼拝後に行われる定期総会の中で、神の愛が満ち満ちている場としての再確認と、社会における世の光、地の塩であり続ける意識の共有が行われていくように祈ります。

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