聖書は、神が言葉によって混沌の中から天と地を創造されたと告白します(創世記1:3)そして神に形づくられた人間は、言葉を持ってお互いの思いを知ることができるようになりました。しかし、人間の高慢を痛み、神は人間の言葉を混乱させ、互いの言葉が理解できないようにして、全地に散らされていったのでした。
主イエスの復活に出会った弟子たちは、いまだ確信を持つことなく、それぞれの思いは混沌の中にありました。頼るべきリーダーを失った共同体は簡単には戻れないものです。さらに、エルサレムの街はいまだにイエスの弟子たちを捕まえようとする動きがあり、彼らは身の危険を感じ小さくされていたのでした。彼らの中には主イエスの最後の場面を目撃した女たち、イエスの母、兄弟たちも一緒になって祈りを合わせていたのでした。
復活の主イエスによって残された言葉は、「父の約束されたものを待ちなさい」(使徒1:4)でした。彼らは、それがどんなものか、いつ与えられるかは不明のままでエルサレムに戻ってきた人々と共に祈りを合わせていたのでした。
ペンテコステ(聖霊降臨祭)を教会の誕生日としてお祝いする意味は、聖霊が混沌とした共同体に教会を与えてくださったことです。聖書を辿ると、そこには彼らの証言をどのように表現したらよいかの著者の苦闘を感じます。彼らが感じたものは「風」「音」そして「炎のような舌」でした。この「炎のような舌」こそが、霊によって語る舌、すなわち神の言葉でした。彼らは恐れからの解放を得て、そこに居合わせた人々の故郷(ふるさと)の言葉で福音を語りだしていったのです。さらに与えられた神の言葉を携えて、全地へと散らされていったのでした。
礼拝