祭司サムエルの時代、イスラエルの民は、目に見える強い王を求めました。エジプトから救い出し、圧迫する総ての王国から救い出した主なる神を退け、人間の王を求めたのです。神はイスラエルの民の為に勇者サウルを選びます。王となったサウルは、華々しく戦いに勝利していきますが、神の言葉を軽んじ、自らの判断で動くのでした。神は悔やみました。神はいつも民の願いを聞こうとしますが、振り回され裏切られ、そして憤り悔やみます。それでも主なる神は、あきらめたりすることなく、忍耐強く、このどうしようもない民を、いつも愛し続け、個々の声を聞いて下さいます。なんという深い愛なのでしょう。
神は次の王として、エッサイの息子を示されました。サムエルは長男の逞しい若者に目を引かれますが、神は良しとせず、末っ子を除いて兄達は皆、選ばれませんでした。主は言われます。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル記上16:7) こうして、兄弟のびりっかすである少年ダビデが、次の王として選ばれるのでした。主なる神は、人の心を見ます。外観・うわべ・誰かに見せびらかしたい事や、目に見える成果ではなく、人の心を見ます。外側に捕らわれることなく、すべての人の内なる心に平等に目を注いで下さいます。見た目に現れる能力・家柄・容姿・年齢・性自任・貧富・社会的立場・人種等々に関係なくです。その人の、本当の良いところ良くないところ全てを、主はいつも手を広げて受け入れ、認めてくださいます。そうかそうかと言いながら、励まし導いて下さいます。少年ダビデのように、自分の心のすべてに目を注いでくださる主に、安心して導かれ、成長しつつ、歩んで行きたいと心から思います。
礼拝