仕事をコロナで終え、2022年から教会の役員、ホームグループの奉仕を始めました。2023年11月、ホームグループでの分かち合いの箇所はヨハネ5:1-9でした。会を終えて一人で振り返りをしていた時、38年間ベテスダの池の傍らにたたずんでいたこの男が、私だということに気づかされました。ちょうど私がバプテスマを受けて38年目の時でした。仕事の多忙を言い訳に、教会の奉仕も活動もほとんど参加していなかった自分と重なり、イエスの「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」は自分に命じられたようでした。役員としての奉仕も始まり、聖書を学ばなければと、神学校への入学を決心しました。
その後何回か読み返すと、疑問がわいてきました。この男はイエスから癒しを受けたにもかかわらず、ユダヤ人たちにイエスに命じられたと告げ口をして、安息日論争を引き起こし、ユダヤ人たちに殺意を起こさせるきっかけとなります。体の癒しを得たこの男はイエスを主と信じたのか、魂の救いは得たのか、と考え始めました。
19節以降、イエスはご自身が父である神の権能をこの地上で委ねられていることを教えてくださいます。「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死と命へと移っている。」(24節b)すべての創造主であり、命の創造主である神の子イエスは、父である神と等しい方で、被造物である私たちの命をご支配される方です。永遠の命は、神との交わりにいれていただく命です。それはどのような罪人であっても、イエスのことばを聴き、遣わされた神を信じるものであれば、永遠の命を得、神との親しい交わりの中で生かされる者となります。み声を聴いたときが、「今やその時である」と、主は招いてくださっています。
礼拝