礼拝

『愛の内にある』 ヨハネの手紙一 章16b-21節  牧師 武林 真智子

聖書が語る神は、繰り返し「恐れてはならない」と語ります。人は小さなことでも恐れる存在であることを神はよく知っておられるからです。想定外の出来事に遭遇することで、人は恐れます。また未知の新しい道へと歩みだす時も、同じように人は恐れを抱きます。

「恐れることはない。わたしはあなたと共にいる神(イザヤ41:10)」「強く、雄々しくあれ、彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に進まれる(申命記31:6)」このように、神は恐れる人々へ「共にいる」という言葉を添えて、神の愛がいつも共にあることが語られます。

ヨハネの手紙一4章の後半には、この神の愛にとどまる人は神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださることが語られます。その背景にはヨハネによる福音書15章に記された「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である(ヨハネ15:1)」に描かれた「とどまる・住む」という神の愛が共にあることが強調されていきます。

さらに、神の愛の内にあることの確信が「恐れ」を締め出していくと示していきます。私たちが愛することができるのは、最初に神が私たちを愛してくださったゆえです。小さな子どもたちが、保護してくれる大人に全面的に信頼して安心して眠る姿こそが神の愛の内に生きる証なのでしょう。大人になると自分たちで判断し、自分たちで予想もできない未来にむかって恐れ、不安を抱き、思い煩ってしまうようです。

どんな状況の中でも、私たちに神は「恐れてはならない」と愛を持って呼びかけ、導いてくださいます。だからこそ神の愛の内にある私たちは、自分の兄弟姉妹を憎むのではなく、愛することができることに気づくことが求められているのです。

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