現代社会に生きる私たちにとって「愛」を理解するのは、難しいように思えます。「愛」は見えないし、触れることができません。味もしないし、匂いもないのに感じることはできます。しかし、この国では、「愛」という言葉から連想されるものは人間同士の「恋愛」だけになってしまうようです。
一方、聖書には「愛(アガペ)」が様々な場面で登場してきます。創造主なる神は、お造りになった「世」を心から愛されたと記されています。しかし、「世」はその罪のために神から離れ、神を必要としない「世」を自らの力で作り上げたことが、旧約聖書に記されています。それでも、神の愛はあきらめることなく、この世に限りある命をもった人間として御子イエス・キリストをこの世に送ってくださったのでした。ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙には、この「神の愛」について多くの記述を見ることができます。
過越祭の前に自ら一人ひとりの弟子の足を洗い、告別説教をされる主イエスは「互いに愛し合いなさい(ヨハネ13:34)」と新しい戒めを与えられました。この戒めはヨハネの共同体の中で次の代に手渡され、大切にされてきました。そして、本日の聖書箇所もまた「互いに愛し合いましょう。(Ⅰヨハネ4:7)」という呼びかけから始まっていきます。
愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。この言葉には、神の形として創造された人(アダム)には、例外なく「神の愛」が内在していることを記しているのです。罪によって忘れかけた「神の愛」に気づき、愛されていることの喜びの中に生きるように主イエス・キリストが送られたのです。人間として徹底的に神を愛し、神に従った人間イエスの姿こそが私たちに「神の愛」を示しているのです。
礼拝