礼拝

神学校週間礼拝 『ここに私がおります』 イザヤ書 6章6〜8節  牧師 武林 真智子

毎年、日本バプテスト連盟に加盟する諸教会・伝道所が、伝道者養成に関わる事業として、この6月の最後の主日からの一週間を「神学校週間」として互いに神学校を覚えて献金を献げています。

バプテスト教会は、その歴史を辿ると教会税によって生活の安定を保証された国教会の牧師と違って、自らの信徒の中から牧師を選任し、自発的な献金をもって支える道を選んできました。その流れを汲んで、教会に牧師を招聘することは権威的な指導者を立てるのではなく、聖霊の導きの中で、キリストを土台とした信頼関係によって、み言葉を取り次ぐ職務を委託する方法を選びとってきたのです。

召命という言葉はキリスト教会の牧師や主事(教役者)を目指す人だけへの神からの召しであると思い込んでいる人々がいます。しかし、プロテスタント教会(宗教改革後)の教会は、全ての職業に召命という言葉を用いてきました。だからこそ教会は、信徒の中から、み言葉を取り次ぐ賜物に注目し、その働きに喜びと誇りを持つ人を神学校へと推薦していくのです。

聖書に記された預言者とは、神の言葉を預かり、神の民へ取り次ぐ働きを担う者です。本日の聖書箇所は預言者イザヤの召命が記されています。モーセやエレミヤのように、神の召しに素直に応答できない預言者もいる中で、このイザヤは自らの言葉で「ここに私がおります」と応答していきます。しかし、このイザヤ書は、イザヤのそれまでの葛藤や迷いを描かない代わりに、その殆どが彼の言葉を無視し、目で見ず、耳で聞かず、心で悟ことのない民を描きます。現代社会において創造主なる神からの召しに応答することの難しさを共有し、それでも献身者として歩みだそうとする一人ひとりを支えていきたいものです。

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