礼拝

『主の平和へ』 箴言25章21-22節 牧師 武林真智子

 箴言25-29章は、ユダの王ヒゼキヤの下にある書記官や教師たちが編集した格言集と言われています。ヒゼキヤ王は主の目に適う正しいことを行った王として記されています。残念ながら、私たちは当時の習慣や地域性を深く学び得ないので、この格言の並べ方の創意について、あるいは言葉遊びの楽しさまで思いが至りません。さらにイスラエルの子ども(男性)たちが幼い頃より暗記してきた重要性を上手に受け取れていないように思えます。
 一方で、新約聖書の中に引用されることにより、その真意を深く受け止めることができる箇所もあります。本日取り上げた箇所は、使徒パウロの手紙の中に見つけることができます(ローマ12:20)。聖書は、言い伝えとして手渡してきた人、聖書に掲載しようとした人、さらに私たちの言葉に翻訳した人のそれぞれの信仰が反映されているのです。
 この言葉は、悪人に対して善を行うことで、相手に悔い改めが起こされることを示しているようにも思えます。「頭に炭火を積む」とは、エジプトの罪人(犯罪者)が行うべき、悔い改めの儀式(処刑)と言われています。その背景には敵であろうと、あなたを憎む者であろうと、主なる神が創造された「人」であること(出エジプト23:4)を深く覚えていくようにとの律法の教えが根付いているようです。
 主イエスは自分を殺そうとする人にまで、とりなしの祈りを捧げられました。生涯をもって愛と平和に生きられたことを思います。その十字架の出来事を使徒パウロは証として語ります。わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。(ローマ5:8)

TOP