10月より箴言を共に分かち合います。「箴」とは「針」と言う意味を持ち、現在の鍼灸は金属の「針」を用いますが、竹で出来た「針」の流れを受けて、その名がつけられたと聞きます。すなわち、人が生きていくための「つぼ」を押さえていくための言葉が連ねられています。
この箴言の中で、「主を畏れる」ということは、全体を通しての土台となる言葉とも言えます。それは「知恵」と繋がり、他の箇所でも「分別の初め」(9:10)あるいは「諭し」(15:33)と並べられて記されています。善悪の知識の木を取って食べた人間が、知識を積み重ねても届かない、「どう生きるか」という問題に対して、箴言は「主を畏れる」ことこそ、より良く生き、より良い関係性を持つことができることを提言します。
この箴言も他の「律法」、「預言書」と同じようにバビロン捕囚の中で、編集されたものと言われています。四方を大国に囲まれ、生き延びていくには、自分たちの知識や力が頼りであったことでしょう。しかし自分を主人公として、力や権力、財力により頼んだ結果は明らかでした。ゆえに、「主を畏れる」ことから始めていかなくてはいけないことを示していくのです。
知恵の王ソロモンは、民を治めるために、主なる神に、聞き分ける心を願いました。現代社会に生きる私たちは、知識においてはAIに超えられている時代に生きています。だからこそ、私たちの命を創造し、宇宙までを創造された主なる神に生かされていることを改めて認識し、「主を畏れて」生きるものとして、互いに仕えあっていきたいものです。
礼拝